清貧思想とマウンティングについて考えてみた!

みなさん、おはようございます!
ひがち (@higachi_note)です♪
最近「清貧思考」という言葉を耳にして大変興味深かったのでご紹介させて頂きます。
清貧とは
要するに、お金がなくても、めげずに頑張ってる方が心が清らかであるといった思想なのかな?
ただ、あまりに貧困過ぎて犯罪行為に走ってしまうケースもあると思うので、ケースバイケースなのかなと…。
ひがち
こういう意見ってよくクリエイターさんから耳にするような気がしています。
「僕たちの活動は「お金」が目的じゃないんで!
みたいな。笑
ただ、やっぱりご飯代は稼がなきゃいけないだろうし、
自分の活動を継続させるために、一定の稼ぎは必要だから、
貧乏過ぎるのは良くないんじゃないかなと…。
そして、それを周りに強要するのはよくなし、
「俺も苦労したんだから、お前も同じように苦労しろ!」
というのはあまりに理不尽だと思うんです。
「清貧」は他人に押し付けるものではない
単に「清貧」と言ってもいろいろな意見があるようです。
ひがち
「清貧」思考はダメです。それ、いいように使われるブラックの世界です。
— 金子 周平┃技術書贈りおじさん (@skaneko414) May 17, 2018
日本には清貧思考というものがある。貧乏でも心が満たされていればいいみたいなもの。これって日本人の奥底にあるよね。でも貧乏ほど辛いものはないよ。結婚はできない。子どもがいても教育にお金をかけられない。お金のある家庭の子との差が広がるだけ。職業も選べなくなる。そんな思考は幸せ?
— ひろたん@SNSでマネタイズしてる人 (@change_hiroall) July 22, 2021
ここ最近の様子を見てて思うのはマジで日本社会の不寛容と弱いものへのいじめ体質。
ねじ曲がった意味不明な清貧思考とでもいうのか、自分も我慢してるんだからオマエも我慢しろ、紛争のない国なんだから環境や親のせいにするな…弱いものの被害妄想だと決めつける。その思想、誰か幸せにするの?
— ゆるゆるhappyに生きたい (@fzFSAgtQtNsfMQ8) September 28, 2021
なるほど、なるほど。たしかに「自分も我慢してきたんだから、お前も我慢しろ!」はよく無いですね…。一方でこういった考え方もあるようです。
ひがち
清貧は、「貧乏」とは違います。
貧乏の場合、お金がなく、貧しい暮らしをせざるをえない。
しかし、清貧の場合、お金があるにもかかわらず、「物質的に豊かな暮らし」をあえて求めないのです。
所有するお金やモノが増えると、それらに人生を支配されるようになり、精神的な豊かさが奪われてしまうからです。
本来はこういう思想の方が正しいのかな?
ひがち
しかし考え方が歪んでしまい…
「貧乏=努力してる」→だからお前も一回貧乏経験しろ!
のようなマウンティングになってしまっているんだと思います…。
だから先程の、
「僕たちの活動は「お金」が目的じゃないんで!」
という言葉も、
「豊かな暮らし」を 特に求めない人たちが言うなら良いのですが…
一方的に、 「俺はお金が目的じゃないんだから、お前もそのスタンスでやれ!」と他人に「清貧」を押し付けるのは違うと思うんです…。
そして、この一方的に押し付ける行為をやっていても、誰も幸せにならなし、豊かにはならないと思いませんか?
衣食足りて礼節を知る
「衣食足りて礼節を知る」という、ことわざがあります。
『生活に余裕が生まれると心まで豊かになる』という、ポジティブなニュアンスで使われる言葉です。
着るものや食べるものに余裕が出てくると、心にも余裕が生まれ、名誉や恥を考えるようになるという意味を表しています。
だからこのことわざのように、
生活に余裕がある状態で「清貧の思想」を取り入れていくことが理想的なのかもしれませんね!